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二宮さん座る

まず、二宮さんと聞いて、嵐の二宮 和也(ニノ)さんを、思い浮かべた方、申し訳ございません。

今回は、金次郎さんの話です。

前回のブログで、小学校の事を書いているとき、ふと思い出したことがあるので、今回書かせて頂きます。

 

二宮 金次郎、本名 二宮 尊徳(にのみや たかのり)。

今から200年以上前に生まれた、農政家、思想家。

とは言っても、我々の世代は、小学校の校庭の片隅で、薪を背負って歩きながら勉学に励む、真面目な少年として、親しみがありました。

二宮 金治郎 1

「どこの小学校にも、必ずあった」と言っても過言ではない、金次郎少年の銅像ですが、気が付けば最近、あまり見なくなりました。

そして、「最近の金次郎少年は、背負っていた薪を下ろし、座って本を読んでいる」とラジオで聞いたことを思い出しました。

この話を聞いた時は、「何十年もの間、校庭の片隅で薪を背負ったまま、立っていたのだから、無理もない」と思いましたが、その後、本当の理由を聞かされ愕然としました。

その本当の理由とは、生徒の保護者からのクレームで、「重い荷物(薪)を背負って、本を読みながら歩いたら危ないから」だそうです。

てっきり、「金次郎少年のことを気遣って、言っているのだ」と思いきや、「自分の子供が真似したら困る(危ない)から」という理由にビックリです。

同じ銅像を見ても、人によって捉え方や感じ方が違うのは、悪いことではないですし、金次郎少年が、「歩きスマホ」をしているように見えるのもユニークな発想で、否定するものではありません。

 

「子供が真似するから、座らせろ!」という親。

これが、一部の親の意見であれば、「笑い話」で済むのですが、実際には、同じ意見の親が沢山いるそうで、このことで、銅像が撤去されたり、薪を下ろして座った姿に作り変えられていることに、さらにビックリです。

 

最近は、「子供のために」と、親が正しいと思い込む道を1本しるし、障害物があれば、前もって取り除く事が多いと聞きます。

そして、金次郎少年の銅像までも、障害の1つだと言うのであれば、親が思う「正しい道」とは何なのか、その道は何処に続いているのか、逆に見てみたいものです。

 

私は子供の頃、両親から「人や物を、見た目だけで判断するな」と言われ、今もこの言葉は心に残っています。

そして、私が親になった今も、子供達に同じことを伝えています。

それは、私が今まで出会った人や物を、見た目だけで判断しなくて良かったと思うことが、沢山あったからです。

「人は、中身が大事だから、見た目はどうでも良い」とは言いませんが、見た目だけで判断すれば、沢山のチャンスを逃したり、失敗する(騙される)ことも多々あります。

まずは、その本質をじっくりと見極め、それから判断しても遅くはないと思います。

子供達が大人になるまでには、自分の力で障害物を見極め、乗り越える力を身に付けてもらいたいものです。

 

「マネしたら困るから」と言って、本気で「銅像を撤去しろ」と言っている大人がいるとすれば、子供達よりも、その大人達のほうが心配です。

子供達はもっと冷静で、銅像を見ても「マネしよう」とは思わず、その存在にすら気づいていないかも知れません。

そもそも、我々が子供の頃、この銅像を見て、マネしようと思ったでしょうか。

逆に、マネしていれば、もっと立派な大人になっていたかも、知れません。

 

金次郎さんの銅像と小さな池。

二宮 金治郎 2

そして、池の中の浮き草と赤い金魚。

これは、校庭の片隅に、ぜひ残しておきたいアイテムです。

 

 

 


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