毎年この時期、我が家の庭ではユリが咲きます。
特別な手入れをしている訳でもないのに、必ず咲いてくれます。
植えてから10年近くになりますが、草丈が5~10㎝程度で、それ以上伸びることはありません。
インターネット等で調べても、正式な名前は分からないのですが、花や葉の形からして、ユリの仲間である事は間違えなさそうです。
ところで、インターネットで「ユリ」を検索していたら、いつの間にかチューリップやアロエ、ネギ、アスパラガス、その他訳の分からない多肉植物まで沢山出てきました。チューリップはなんとなく理解出来ても、アスパラガスやネギはどうにも理解出来ません。
普段、何気なく目にしている物でも、気付かないだけで不思議な事がゴロゴロしています。
例えばカモシカは、シカと呼ばれながらウシ(牛)の仲間で、パンダとレッサーパンダは同じパンダと呼ばれながらも分類が微妙に違ったり。そもそもパンダは中国語で「熊猫」って書きますから、「熊?、猫?それとも熊みたいな猫?」と謎は深まります。さらにレッサーパンダは「小熊猫」って書くそうで、「小さいパンダがレッサーパンダなのか?」など、学術的な分類と普段の呼び名が違う物も多く、「室蘭焼き鳥」はその代表ですね。
知らない事は、調べて解決する事もありますが、さらに疑問が深まる事も多々あります。
一昔前は、そんな疑問を解決するには、誰かに聞くか、図書館で調べるしかありませんでしたが、インターネットの普及により、今は目の前が図書館です。
私もインターネットで調べる機会が多くなりましたが、いまだに図書館も多く利用しています。それは、図書館のあの雰囲気が好きなこともありますが、調べて答えに到達するまでに時間と手間が掛かる分、新たな疑問を生むチャンスがあるからです。
インターネットは、最短距離で目的地に行くのに対し、図書館は回り道をする感覚で、その道にはさらに脇道があって、「急がば回れ」とでも言うのでしょうか。意味は少し違うかも知れませんが、回り道をして色々なことを知っておく事は、次の問題解決に役立つ事もあり、結果として解決が早くなります。
ユリの話からずいぶん逸れましたが、見た目だけでは判断出来ない事が世の中には沢山あり、見た目だけで判断していれば、騙されたり、大切なことを見逃すこともあり、色々な角度から見ることが大切だと感じる今日この頃です。
私は「花言葉」を語るようなロマンチストではありませんが、我が家のユリにもきっと花言葉があるのでしょう。
草丈は伸びず、10㎝に満たないユリですが、毎年 きれいな花を咲かせ、存在感は我が家の庭で一番です。
花が咲き終わると、そこにユリがあったことすら忘れられてしまうのですが、毎年この時期になると必ず、その存在を思い出させてくれます。
そんなユリを見ていると、大きくなるばかりが成長や存在感ではなく、同じ時に決まったことを繰り返すのも成長だと感じると同時に、この花の持つ「花言葉」を調べてみたくなりました。
先日、部活でテニスをやっている長男(中3)が、中学校生活最後の試合に挑みました。いつも1回戦負けだった長男が、最後にして初めて1回戦を勝ち進みました。
しかし2回戦で惨敗し、3年間の部活動が終わりました。
この3年間、勝利という結果はあまり残せませんでしたが、毎日の朝練や放課後の練習は欠かすことなくやってきました。
伸びた身長は、この3年間で2㎝程度。我々親にしてみれば制服や体操着を買い換えることなく、親孝行な息子だと冗談をいって笑っています。
そんな長男ではありますが、変化のない毎日に見えても、「頼もしい男になった」と感じる一瞬もあり、庭に咲くあのユリを思い出します。
長男は今、中学の部活引退と同時に、高校でどんな部活に入るか悩んでいます。
私は長男に言いたい。「高校の部活選びで悩む前に、受験で悩め!」と。
でも、そんな「のんき」な長男の性格、私は嫌いじゃありません。