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今年は受験生 |д゚)

<あっという間の15年>
生まれたときは体が弱く、5歳位までは入退院を繰り返していた長男ですが、今ではサッカーやテニス、そしてスキーと、スポーツが好きな健康優良児です。
そして今年は、高校受験。

<親心>
「無事に生まれてくれれば、他には何も・・・」と願う親心。
そして、無事生まれてきたら、次々と欲が出てしまうのも親心。
そんな「親の欲」が出たとき私は、「初心」にかえります。

<長男と私は同級生>
普段 偉そうにしている私も、「親年齢」でいえば、長男と同じ15歳の同級生。違うとすれば、私は大人と子供の両方を経験している事。

<最近、子供たちを見ていると>
子供たちの顔色や行動を見ていると、今 何を考え悩んでいるのかが、手に取るようにわかることが度々あります。
これは、「親子だから」ということもありますが、それよりも、当時の自分と照らし合わせてみると同じで、よくわかるんです。「まったく同じ」ではないのですが、何となくの「空気」が同じなんです。

逆に女性である妻は、息子たちの行動に「理解不能」なことが度々あるようで、例えば、下品な話に涙を流しながら大笑いしている息子たちを見て、「うちの子たちはどうして・・・(◞‸◟) 」とあきれ顔です。
そんな時 私は、斜め上を向いて「 困ったもんだねぇ (´з`) 」とお茶を濁しますが、実際のところ、胸のあたりがキューンと締め付けられる微妙な感覚になります。

<子供目線>
大人目線で、子供にあれこれと求めてしまうことがありませんか。
スポーツ界には「名」が付く監督と、普通の監督がいます。
引退した選手が監督になるケースが多いようですが、必ずしも「名選手 = 名監督」ではないようです。
さらに、「そんなに言うなら、自分でやってみろ!」と選手に言われても、できない名監督も多いとか。
要するに「指導力」の違いは、「監督自身の技術力」の差ではなく、「選手を理解し、生かす力」の有無なんだと思います。
「プロ選手になる前のコーチは、その競技ができない父親だった」なんて話も聞いたことがあります。
選手でも子供でも、人が人を育てるのは難しく、時には「自分のことを棚に上げて」指導しなければなりません。
自分のことを棚に上げるのは、「自分中心的に」ということではなく、「自分ではなく、相手の立場に立って」という意味で、子育てでいえば「子供目線」で一緒に考え、想像し悩むこと。
子供を経験している大人には、それが出来るはずです。
ただ同じ子供でも、男の子と女の子では違うようで、「子供目線」になっても私は、女の子の気持ちは「理解不能」かも知れませんねぇ。

<我が家のルーティーン>
毎日、遊び・部活・給食と中学校生活を楽しんでいる長男は、 私が帰宅すると、その日にあったことを楽しそうに、そして自慢げに話してくれます。すると次男も負けじと参戦してきて、我が家は毎晩 大騒ぎです。
そのあとは、兄弟喧嘩 →「下品な言葉」の言い合い → 大笑い → 仲直り → 妻から顰蹙(ひんしゅく)を買う → おしまい。これが我が家のルーティーンです。

<子育て>
我が家の子育ては、基本的に「野放し」です。
とは言っても、「やりたい放題」ではなく、日頃の生活習慣についてはキッチリとルールを決め実行させています。
私は子供たちに「親の目が届くうちに、沢山の失敗や挫折を経験させてやりたい」と、考えています。
その「失敗」や「挫折」には、「、学んでほしい事のヒント」が沢山含まれており、「失敗しないように」と障害になりそうな物を先回りして取り除く「親心」は、子供の成長の妨げになっていることが多々あるように思います。
失敗しても、何度も挑戦を繰り返し成功すれば、それは「経験」になり、挫折は、諦めずに乗り越えることで「自信」へとつながります。そして、その経験や自信は「力」となり、それを困っている人に使えれば「助ける力」になります。その助ける力は「信頼関係」を生み「助けられる力」に、さらに「助け合い」という「大きな力」になるはずです。

<大人が、子供たちにしてやれること>
受験を目前に控えた長男は最近、部屋にこもる時間が増えました。
「受験生だから当たり前」と言えば、そうなのですが、やはり不安なんでしょうねぇ。
「野放し」の我が家では、「将来」に関して子供たち自身が考え始めるまで、そっと見守るようにしていて、逆に「今を大切(一所懸命)に」とアドバイスしています。
幼稚園に通う頃から動物が好きだった次男(小6)は最近、「動物博士になる」と目標を見つけ進み始めましたが、長男は「勉強することの意味(目的)」に悩み苦しんでいるようです。
「私の目」からすれば、勉強の成果が出ていなくても、その他の部活や遊びを通して学び、成長しているように見えるのですが、どうしても「成績」が評価の基準になってしまうんですよねぇ、親も子も。ただ、その「評価」は学生時代と就職活動までの「装飾品」なんですけど。
今、将来に不安を感じている長男。
ここで「〇〇したら間違いない」と、親が後押ししてやれば安心するのかも知れません。今は「何かを信じて進みたい気持ち」なんだと思います。
しかし、ここは親も我慢のしどころ。無責任に「間違いない」と言ってやるよりは、たとえ結論が出なくても自分で考えることを経験してほしいと思います。
結果的に、どこかの高校に合格してしまえば「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、悩んでいたことなんて忘れてしまいますから。
ただ、自分で超えた壁は「経験と自信」として残り、次の「もう少し大きな壁」に立ち向かう「勇気」になるはずです。

<低空飛行の君へ>
残り少ない中学校生活。楽しくもあり、でも寂しくもあり、間近に控えた受験が不安で、全般的にはモヤモヤとして何も手に付かない毎日。
 「もう少し早くから勉強しておけば」と後悔する長男。
でも君は、周り人に気遣いできる「いい男」に育っています。それは、じっくりと時間をかけて積み重ねなければ「習慣」として身に付かない事。
勉強は、その「意味(目的)」を見つけることができれば、いつの時点からでも取り戻せます。
学力の高い学校でなくてもいい。行ける学校で、大切な友達と出会い、一緒に楽しい思い出を作ってほしいと願っています。

そこそこ、がんばれ! これからも、今まで通りで大丈夫!

北キツネ1

 

 


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