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当別 弁華別小学校

数日前の北海道新聞に、当別町にある弁華別(べんけべつ)小学校閉校の記事が書かれていました。

弁華別小学校 1

弁華別小学校は現時点で、道内最古の現役2階建木造校舎で、昨年、自動車のコマーシャルにも使われ、話題になりました。

記事によると、この弁華別小学校を来年4月に閉校し、児童を町中のコンクリート造の中学校の校舎に移すという計画。

その理由は、やはり「耐震性能の問題」で、木造校舎は耐震性能が低く危険との考えからです。

それに加え、古い木造校舎は、最近のコンクリート造の校舎に比べると、「耐火性能」でも劣るのは明らかです。

ただ、一つ気になったのが、町教委が、この校舎の耐震診断を行わずに判断しているということ。

その理由として「校舎の設計図を紛失したから」とのこと。

また、設計図がない状態で耐震診断を行うには、実際に校舎の一部を壊し、状態を確認しながらの作業になるので「費用が掛る」のも理由の一つ。

簡単に言うと、「設計図もないし、耐震診断に費用もかかるし、古い木造校舎だから閉校にしょう」という事でしょうか。

それ以外にも、過疎化・少子化による児童の減少や、町の財政の問題もあるのでしょう。

考え方によっては、少しでも危険性がある校舎に、子供たちを通わせるよりも、より安全な所へ、「何か問題が起こってからでは手遅れ」というのも一つ。

その一方で、これだけ歴史のある校舎には、沢山の人達の思い出もあるはずです。

記事の中にも、親子3代で、この小学校を卒業したという方の話も出ていましたが、こういう方々にしてみれば「何となく危なそうだから」だけでは納得出来ない事もあるのでしょう。

どちらの立場を取っても、「一里ある」こと。

非常にデリケートな話でもあるので、お互い納得のいく、十分な話し合いが必要不可欠です。

 

実は、私にも、木造校舎の思い出があります。

「実は」と言うほどの話ではないのですが、私が通っていた高校の校舎の話です。

基本的に校舎は、鉄筋コンクリート造で、地下に実験室があるような近代的な建物だったのですが、なぜか自分たちが居る棟だけ、木造(2階建)でした。

当時の話によれば、その建物は「戦時中の陸軍兵舎を移築した」との事でした。

近代的な校舎のすき間にある、その木造校舎は、例えるなら、都会のビルの谷間に、ひっそりと建つボロアパートといった雰囲気で、冬寒く、夏暑い季節感のある建物でした。

そして、その校舎は、2階で「貧乏揺すり」をすると、建物全体が揺れるほどボロボロで、その揺れが建物の固有振動数と同調すると、まるで地震のような大きな揺れになります。

ある日、難しい教科のテストがあり、先生にバレないように、みんなで貧乏揺すりをして建物を揺らすと、先生は地震と勘違いして、私たち生徒を校舎の外へ避難させテストは中断。

しかし、他の校舎の生徒は、平然とテストを受けています。

先生は、ニヤニヤしている私たちを見てすぐに、私たちの仕業だとピンと来て、再びテストへ。

叱られたのは言うまでもありませんが、結局、難しい問題を解く時間を減らしただけで、その後、追試を受ける羽目になりました。

今考えてみると、この時の校舎の耐震性能は耐震診断するまでもなく「×」で、そのまま貧乏揺すりを続けていれば、倒壊していたかも知れません。

「木造」と言っても、色々な木造があり、私が通っていた高校の木造校舎のように、危険な物もあれば、数百年前に建てられ、今もなお残っている神社仏閣も木造です。

ですから、「木造だから」と、ひとくくりにしてしまうのも、どうかと思います。

道内の木造校舎は弁華別小学校を含め、あと2校のみだそうですが、閉校していても、残っている建物は多々あります。

「北の国から」の純くんと蛍ちゃんが通っていた小学校を始め、色々な工房やギャラリー・喫茶店として。

 

木造校舎には、独特の雰囲気があり、どこか懐かしくもあり、新鮮でもあります。

中に入ると、なぜか深呼吸したくなり、そこには新築には無い雰囲気(味)があり、コンクリートにはない「温もり」があります。

弁華別小学校の問題、賛否あるとは思いますが、校舎は何とか残してほしいと、私は願います。

そして、この校舎が長い時間を掛けて造り上げてきた「味」も、ぜひ残してほしいものです。

 

 

 


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