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語り継ぐ事の難しさ

「戦後70年の節目」

最近、こんな言葉をよく聞きます。

「10年ひと昔」として考えると、50年・60年も同じ節目で、70年が特別ということではありませんが、戦争経験者の方々も、70歳以上と高齢になっており、戦争の悲惨さを伝える人達の世代交代という意味では、節目なのかも知れません。

 

よく、「歴史は繰り返される」と言います。

この言葉の意味の本質は、違うところにあるのかも知れませんが、表面的に捕らえたとしても、納得できるところが多々あります。

ファッションの流行は、1シーズンと短期間であることが多く、それがゆえ、「目新しさ」が必要です。

しかし、時が経ち、昔を知らない世代の若者たちは、ひと昔前のデザインを「新しい・斬新」と感じることも珍しくはなく、こうやってファッションの歴史は繰り返されるのかも知れません。

住宅業界でも最近、「アンティーク」や「昭和レトロ」なども人気で、ここでも、古いものに目新しさを感じ、歴史は繰り返されています。

ファッションや住宅業界で、歴史が繰り返されることは、「リサイクル」という面から見ても、大いに結構なことなのですが、中には繰り返して欲しくない、歴史もあります。

「悲惨な戦争」は、その代表で、同じ過ちを繰り返さないために、過去の戦争を正しく伝え、そこから学ばなければいけません。

 

戦後70年。

「直接伝える時代」から、「語り継ぐ時代」へと、徐々に移り変わっています。

しかし近年、戦争経験の無い世代が、語り継ぐことの難しさが、浮き彫りになっているのも事実です。

その難しさは、「歴史は繰り返される」という言葉が、ある意味証明しているのかも知れません。

戦後70年を迎えた今、「伝え方」を考え直す、「節目」に来ているのかも知れません。

 

話は少し変わりますが、「核のゴミ」と呼ばれる、放射性廃棄物の最終処分方法の候補の1つとして、地下水が無い、安定した地層の地下深くに貯蔵する案があります。

これに対して、賛否いろいろありますが、その反対意見の1つに、「放射能が安全なレベルまで減少するのに、10万年近くかかり、この期間伝え続けるのは難しい」とする専門家の意見があります。

戦後70年、「記憶が風化しつつある」と問題視されている昨今、10万年という途方もない年月を考えると、その重要性を風化させずに伝え続けることが出来るかは、確かに不安です。

言い換えれば、正確に伝わるのは、経験者が語れる1世代ないし、2世代後までで、それ以降は、歴史の1ページとして、知る(学ぶ)程度になってしまうのが現実ではないでしょうか。

そして、学ぶにしても、その全てを学ぶことが出来るとも限りません。

2年位前だったでしょうか、「はだしのゲン」という、広島の原子爆弾をテーマにした漫画を、子供たちに読ませるか否かという大人達の論争が話題になりました。

このことを見ても分かるように、世代によっても考え方がいろいろあり、正確に全てを伝えることは、難しいと言えます。

 

さて、直接経験していないことを正確に伝えるのが難しいとすれば、どうすれば良いのでしょうか。

この夏休み、私は、子供たちと「戦争」について、一緒に考えてみることにしました。

経験していない大人が、偉そうに教えるのではなく、経験していない者同士、一緒に勉強することにしました。

今までにも、「戦争」について、色々な資料を見ながら、一緒に勉強をしていましたが、今回は、歴史的事実ではなく、原因について話し合ってみました。

 

戦争は、国同士の喧嘩です。

そこで、子供たちに「学校の友達や、兄弟で喧嘩をするときの原因は何か」と、質問してみました。

子供たちは、しばらく考えて、「面白くないから」と答えました。

「面白くないとは、遊んでいて楽しくないということ?」と聞き直すと、

またしばらく考えて、「自分の思い通りにならなくて、面白くないから」と。

次に、「その時、喧嘩相手は、自分に対して、どういう気持ちだろう?」と聞いてみると、

「・・・自分と同じだと思う」。

「自分と同じとは」と、さらに聞くと、

「思い通りにならなくて、面白くない気持ち」と答えました。

その後も、色々な視点から「争い事」について、話し合いました。

そして、1つの結論に達しました。

「争いにも、2通りある」ということ。

その1つ目は、スポーツや仕事などで、共通の目標を持って、仲間同士・ライバル同士が競い合う(競争する)こと。

2つ目は、それぞれの一方的な目的を達成するために敵対し、自己都合で争うこと(喧嘩・戦争)です。

 

喧嘩は、1人では出来ず、必ず相手がいます。

そして、「考え方の違い」が事の始まりで、どちらも、「自分が正しい」と思って喧嘩します。

「いじめ」は別として、子供達の喧嘩は、当事者同士。

しかし、大人の喧嘩(戦争)は、関係のないまわりの人まで巻き込みます。

最終的には、「自分の家族を守るため」と理由をつけますが、それは、同時に相手の家族を傷つける事でもあります。

時に戦争は、自分の都合で、相手を傷つけることを「仕方ないこと」として、合法化します。

 

子供達は、喧嘩から、色々なことを学びます。

喧嘩の後に流れる気まずい雰囲気や、

仲直りをするタイミングの難しさ、

仲直りした後に気づく、喧嘩の原因のくだらなさなど。

そして今回、話をする中で、「相手を思いやる気持ち」が少しあれば、その多くを避けられたことに、子供達は気がつき、素直に受けいれ、すぐに実行すると話してくれました。

 

戦後70年。

記憶は、時間とともに風化し、記録になります。

過去の過ちを、記録だけに頼って伝えるのではなく、記憶から学び、新しい形を生み出すことが、「生かす」という事です。

相手に喧嘩を仕掛けられないように、自分を強く見せるのも、1つの方法かも知れません。

しかし、未来の大人である子供達には、「人を思いやる気持ちを持ち、困っている人がいたら、助けられるように力をつけなさい」と伝えたいです。

 

 

 


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